wind’s book

物語の中の私が、才能を求めて愚かな一ページをめくるお話

こんな仕事

慣れている。


そんな言葉を浴びせられるのは。


先輩から最初に教わること。マニュアルからも何回も言われた。


「俺らは非情にならなきゃならない。」


それが会社への貢献なんだ。


何も思わなかった。当然だ。


芸能人に情など写ってはこの仕事は成り立たない。


慣れてきたある日取材した映画作家


独占取材だった。


僕は間髪いれず最初に聞いた。


「なぜ、こんなにも反感を買う作品になったか、わかってますか」


彼は、まるで虚空を見るような目を細め、部屋を見まわしたあと一言、


何人もを悲しませたその口で告げた。


「これが、私の本当にやりたかったことだからだ。」


何も、言えなくなってしまった。


静まり返った部屋に、照明の灯りだけが、どくどくと彷徨っていた。

 

結局それは、あとで台本を作って別の記者とその人で受け答えをすることになったらしい。


こういうことは珍しくない。むしろ、最初に一回フリーでこうやってやることのほうが貴重だ、お前は悪くない。


そう言ってくれた同僚に、前まではありがとうと言えたが、渦巻く黒い何かが僕の口を塞いだような、そんな感覚がした。


・・・。決定打はそれだった。


誰が垂れ流したか・・、いや、警察、もしくは親族、あるいは仲間か。


先日僕が取材した作家が、スタジオで首を吊ったと、そう聞いた。


“本当にやりたかったこと”


そんな言葉が僕の中で渦巻、渦巻いて、チクチク心を刺していく。


そして、僕は見てしまった。


ここではタブーとされる、“SNSタグ”を。


気になってしょうがなかった。あなたは悪くない、悪いのは映画作家だ、そう言って欲しかっただけなのに。


目に留まるのは、変なコメントばっか。


「あんなクソ作品作って死ぬとか可哀想」


「ほら〜w騒ぎすぎて死んじゃった」


「もっとちゃんと関係者が話聞いてれば病まなかったのでは?」


「ちょうどどっかのニュースで言ってた“次回作”消えたな」


「↪︎ニュースでの受け答えなんてまじで言ってるわけないじゃんw」

 

目の前に映るのは、僕が見た映画。


あの映画作家の、最後の作品。


なぜか惹かれるように見たあの作品は、作画こそ変だったものの素晴らしかった。


小説書けば良かったのにって思ったけど、あの人は映画しか作りたくないって。


でも、記者だから、一般論にわざと流されなきゃいけない。


「これが燃えている」


「不倫や浮気」


「事故や天気」


これら一まとめでメディアやジャーナル、ニュースは成り立っていて、ジャーナリスト、リポーターである僕が持ってくる情報だ。


ジャーナリストは所詮情報屋に過ぎない。


情報にジャーナリストの感情などあってはならない。


損得勘定を大事にする。散々先輩に言われた言葉。

 

 


結局僕は、人になすりつけて生きているんだなって、

 

 

あの雲の上にはドス黒い宇宙が佇んでいるように、


明るい日常という“綺麗事”の上には人が人であるための“汚い事”が、デカデカと立っている。


ステージの上で舞う天使を、地獄に叩きつける仕事。


そんな仕事で、僕は生きています。