あなたの答えは?
本当に答えというのは存在するのか。私の答えはnoだ。
・・・・。1秒で矛盾する天才かもしれない。
こんにちは、今日も風に当たっている風奏です。
室内からお送りしてま〜す。
今日は「答え」について。
いやぁ、これって人によると思うんですよ。
まず、「大衆的に判断する」答えと、「個人の主観」の答えがあって。
「大衆的に判断する」というのは、みんなを軸として是か悪か。個人というのは、「自分のこだわり」にあやかるものだと思っていて。
そこに善悪を決めるのは“好きじゃない”。
私が最近見つけた、“私の答え”を導く方程式を思いつく限り紹介しよう。
1、常識を疑う。
まず常識を疑う→次にわざと縛られる。
2、誰かを真似る
自分のなりたい人(やりたいことで大成している人)を真似ぶ→その人が「いや」と言ったら私もそれを嫌う
3、感情を感じる
自分が何かモヤモヤした時、「なんのトリガーでモヤモヤしてる?」と自分に問いかける→そのモヤモヤを言語化してみる→言語化したモヤモヤを価値観にする
4、落とし込む
自分がいいな、好きだなって思ったルールをそのまま自分に課す
具体例を出そう。
1、常識を疑う
価値観は持っていないといけない、という常識に、「価値観を持ったところでこだわり強いって言われるんだから・・」と一蹴した上で、「私はこだわりを持たなければいけない」と考えてみる。
2、誰かを真似る
ロールモデルの全てのコンテンツを見まくって、その人の生活スタイルや価値観を片っ端から真似る。
分析しまくって、その人が結果的に身につけたスキルを学ぶ。
3、感情を感じる
例えば映画を観た後の「エモい」を禁止して、エモいを言語化する。例えばそれが、主人公の願いが全部叶ったうれしさと、主人公の親の寂しさがどっちも押し寄せてきていて、なんとも言えない、なんだったら、寂しさと嬉しさが混ざった感情の答えはこの気持ちだ、と定義づけてしまえばいい。
4、落とし込む
ブログで観た「僕はこういうことが好きだし、これをする人はおお〜って思います」って書いてたとして、「いいな、それ」ってなったらそれを素直に拝借する。
これが私の方程式ですね。
今の所の。
特に私は、「こうでなきゃいけない」や、「ああじゃなきゃいけない」を結構自分に課すことが多くて、
これはこの後の話につながってくるんですけど、
今の上のは、あくまで「私を主観とした」答えの出し方で、全員に許容されるものじゃないのです。
大衆的な答えになると、これまた話が違ってきます。
まず年齢によっても、性別によっても、文化によっても答えは違うわけです。
その中で、「大衆的な平均値」がみんなの答えとして成り立っていると私は考えます。
例えば今でいうと、「東大に入ったやつは賢くて偉い」 「承認欲求はよくない」「上司の言うことは絶対」「みんながやってないことはやっちゃダメ」やら、「優劣があって、優れている方がすごい」「みんなが注目しているから、きっといいものだろう」とか、「毒親は悪い」だとかね。
これはあくまで日本ベースだけど、大衆的に観ていることは確かだ。
みんながやっているからやる、みんなやってないからやらないは、魔法の言葉だと思う、闇のね。
ここからは私の答えなんだけど、みんなというのは幻影じゃないか?って。
みんななんて存在しない、思惑が同じ人はいない。目的は同じでもね。
でも作品やら小説やらを作っている以上、この「大衆的な平均値」に身を包まなきゃいけない。
絶対ね。
だって、「大衆的に認めてもらえる作品」を求められてるんだから。
常識を知らないで作った作品と、知ってる上でぶち壊した作品は違う、とはよく言ったものでね。
やっぱり「あ〜」ってくるよね。
あとは作品関連で言ったら、みんなお馴染み、「映画大好きポンポさん」の、「幸福は創造の敵」という言葉も私の答えとして存在している。
私の思う「幸福」とは「満たされた状態」であることを指して、「もうこれ以上こだわる必要がない様」だと私は思っている。じゃあ「幸福」って裏を返せば「欠点を見つけられない」ことだと思う。
まああくまで私の答えなんですけど。
こんな感じで文章を書くのが今の私の答えです。
p.s.私は「誰かの答え」に縛られるのは間違いだと言う答えをあなたに馳せてみます。