wind’s book

物語の中の私が、才能を求めて愚かな一ページをめくるお話

創る才能が私に無い事を悲しむだけ

不純な動機の小説家。

この言葉は私にぴったりだと注ぐ注ぐ思う。


最初は人から注目を集めるツールとして使っていた。


まあ今は自分の能力を上げるために使っているけれど。


でもやっぱり、憧れてしまうのだ。


美しい謎を残していく彼らに。


ーーーーちょっと小説風にしてみました。


どうも風奏です。


最近はYouTubeにハマっています。


とってもいいコンテンツがたくさんありますよね。


私はその中でも「ワイテルズ」さんを最近見始めました。


皆さんはご存知ですか?


私はホテルペトリコールからの新参者ですが、彼らの作る作品は美しいですね。


DAY DREAM CIRCUSも見ました。あまりにも一個一個の切るタイミングが完璧で、次が気になる作りになっていたり、

ペトリコールではオープニングの色が少しずつ変わっていたりと、相当作るのに熱量のかかった作品になっていて、終わってなおわからないところがあるのもロマンですよね。


それを見て思ったんです。伏線の量がえげつない・・・。恐ろしいほど大量に張り巡らされたその数々は、回収されなかったやつがモヤモヤして、いやらしいですね。


そう言う感覚がいやで、私は小説を描き始めたんです。


答えがわからないまま物語を終えると言うのは、物語を作る人間にとっては普遍的な終わり方だ。


想像の余地がない物語と言うのは、面白くないと言うのもごもっともだ。


だが、私はそんな物語の美しい部分が気に食わなかった。


私は物語の答えを全部知りたかった。


自分しか知らない物語を作ってみたかった。


だから、こうやって作ってるけど、納得できる物語はまだまだできていない。


一回本気で小説書いてみたいな、って思うけど、ホテルペトリコールとか見てると自信を失ってしまう。


やはり努力を重ねた天才は違うな、って思う。


いやぁ、地方民なんで公演に行けないんですよ。まじでいきたかった。悲しすぎる・・・。


まあ、それはさておき、答えを知りたいって思わせておきながら、いいところで物語を終わらせる、そう言う意地悪な作品を、作っていきたい。


だから、そのためにも、さまざまな情報を知らなければいけない。


大人なら誰もが知っている当たり前の常識から、


誰も興味を持たない何かまで、


知見を広げる必要がある、


物語の天才が当たり前にやっているそれらを、天才的に手の中で使えるようにする必要があって、


それで食っていきたいと考えてるなら尚更だ。


才能に追いつく努力のゲージは果てしないのだろう。


羨ましい、と言うよりは、悲しい、と言う方が多いだろうか。


人の作品を噛み砕いて読み解く才があれば、こんなにモヤモヤすることはないのか・・・。と、悲しむ、と言う方が近い。


だからこそ、人脈もたくさん必要だし、設定を考えつく頭も、エモい展開にするための脳も必要だし、それこそ素晴らしい作品を作っても無名だったら意味がない。

 

私はスタートラインにも立っていない。

 

そんな私が素晴らしい作品を作れるのだろうか。知識が足りない、才能が足りない、それがどこまで苦しいか、私は少し知っている。


少し、と言うのは、そういった素晴らしい作品を作る人間たちは、私には想像もつかない努力をしているって、想像もつかない努力をしていたのだろう。


その努力を受けて立つ覚悟があるかどうかは、受けて立つその時が来るまでわからない。


でも私は、相応の努力はしようと思っている。


好きなことは、必ずしも得意なこととは限らない。


そんな厳しめな言葉を、私に浴びせておこう。