wind’s book

物語の中の私が、才能を求めて愚かな一ページをめくるお話

親と子供、不登校の勉強について

不登校社不なわたし。

さっき、親と喧嘩をしました。

理由は勉強についてです。

 

こう言うのはあまり良くない印象を持たれる方もいらっしゃいますので先に言います。

 

「親について子供からの意見を言う構成」になっています。

 

苦手な方はブラウザバックを推奨します。

 

さて、話します。

わたしは喧嘩をしました。

わたしは、そこまで形式だったレールの上を歩くのが好きじゃないです。

自分の自由意志を尊重することが人生の一番の目標で、自分の価値観です。

今回喧嘩したのは、学習についてです。

「学校午前だけ別室っていう最大の譲歩をしている、だからあなたは午後もみんなと同じくらい勉強をしなさい」と言った内容でした。

さもないと、無理やり勉強させたり、無理やり学校行かせるハメになる、とちょっと脅されましたw…。いや、わらいごとじゃないんですけどね。

 

学校行かせる、はほんとにやめてほしいです。正直、無理です。ご飯も喉を通らないだろうし、クラスは逃げ出すと思います。自分の意思の前に、危機感を感じて。

 

ちなみに、学習について、わたしは自分ではやっている方だと思っています。

まあ、これはあくまでもわたしの価値観で、周りの人から見たら少ないんでしょう。

ですが、モチベーションがない状態で悶々とやるより、モチベーションをあげれる状態で勉強した方が圧倒的に効率が上がると言う持論があります。

 

例えば、小説を書いている時、必要な語彙があれば、わたしは自分で国語辞典を引き、そのまま国語辞典を読破する事があります。

これはほんとに気づいたらなんですけど、その時は、いつも苦な語彙テストよりも、身についていると感じるし、実際身についています。

 

数学も、教科書を見てやるのは嫌だけど、謎解きを作る時どうしても数学が必要になったら、なにも考えず教科書を使って演習まで解きます。

 

でも、親はこれは勉強じゃない、そう言うんです。

 

勉強というのは、受験までに、みんなと同じ部分を叩き込むものだ、と。

 

確かに一里あると思います。みんながみんな、知的好奇心で勉強をしているわけではないし、そんな人は一握りだということもわかってます。

 

言い訳のようで申し訳ないんですが、ただ、学習は元々そんな面白くない理由で作られたわけじゃないと思ってます。

 

何時間も家でやりたくないプリントを永遠とやるよりも、手頃なさまざまなことにチャレンジして、挫折して、その挫折の根源を理解する…。そんな勉強法の方が、わたしにあってると思うんです。

 

でも、こんなこと言ったって、「でも受験あるでしょ?こまるでしょ?お母さんも譲歩してるから風奏も譲歩して?」

で終わるだろうし。

 

ちょっと愚痴でした