wind’s book

物語の中の私が、才能を求めて愚かな一ページをめくるお話

うちの親は不思議です

親というのは人間で、子どもというのもまた人間です。

唯一の違いといえば、生きてる年数と、後悔の数くらいでしょうか。

私の父と母も、またその子どもも、不思議な家庭になった私の身の上話をします。

まず、父の話。父は、変な方向に厳しい家庭で育ちました。私からみたひいおじいさんもひいおばあさんも合わせた、四人の大人と、父の妹、弟と合わせて七人(父が幼い頃はひいひいおじいさんもいた模様)で育ちました。

小さい頃から自閉症スペクトラムの傾向があり、おそらくアスペルガー優位のアスペ+ADHDだと思います。

父の家庭では、プライドが高い人間が多かったそうです。みんな自分の正義を持っていて、先生に反抗はマストな通り道、そして何より合理的な家庭でした。

女性陣はそこまでではなかったみたいですが、なんせ男性陣がすごい。もうエピソードが出てから出てくる。

たとえば、父が親の金をくすねて友達にお菓子を奢って良い気になっていた時に、おじいちゃんは父のみならず、友達にも(物理的に)尻を叩いて回ったそうです。尻拭いはおばあさん。ほんとに可哀想な立ち位置です。父自身も山に友達と登ってから自転車蹴って落とすなんてこともざらにあったみたいです。いや、恐ろしい。

そんな父の母、つまりおばあさんは教育熱心だったそうです。父が歴史が好きだったことや、本ばっか読んでたこと、また、異常に物覚えが良い部分を見てかは分かりませんが、何個も何個も嫌がる父を無理やり塾に突っ込んでいたそうです。

ただ、父が中学生になって、東京に一人暮らししたい、と言い出し、なんと東京に一人暮らしするためだけに慶應に合格して、今でも3日に一回は自慢しています。これに関しては天才だと思います。歴史と国語はほぼノー勉で行ったというのも天才度を増していますね。おそろしいです。そんな父の父、おじいさんもしれっと同志社なんですね。重圧重圧♪

そんな父は今でも車でよく癇癪を起こしています。もはやキャラ付けなのでは?と思うほど、(本人も自閉症アイデンティティと語る)何回注意しても直らなく、よく親同士で喧嘩しています。大変ですね。

そして今父は“後悔しない人生”を掲げています。

「風奏には後悔してほしくないんだ、」

そう何回言われたかわかりません。わからないほど言われたのでしょう。

そんな父と結婚した変わり者の母は、転勤族でした。

小さい頃から2年に一回転校。もちろん友達なんかできるはずもなく、親友は数少ないと言っていました。また、母の父母が過保護だったのもあいまって、どんどん塞ぎ込むようになったみたいです。そして不安障害と(恐らく)うつを発症。しかし精神科では普通に学校行ってくださいといわれたみたいです。それで、一時期は死にそうになりながら学校へ行ってたみたいです。根性が恐ろしいですね。そして精神科の先生っ!!!!、まあ昔はそう簡単に学校を休めなかったみたいですね。母の方は自◯を何度も企て、止められたと言っていました。

なんでそこまでして学校へっ!!)))n回目

と、まあ2人とも災難な人生を送っているわけなんですが、そんな2人が出会ったのはコンビニバイトだそうです。

父は金の使い方が荒すぎて、よく◯にそうになっては母に食を恵んでもらっていたそうです。

私が生まれた前後はほんとに夫婦喧嘩が多く、私が3、4歳くらいの時に母が(恐らく勢い)私の前で「離婚する!」と言っていたのを幼いながらに必死にひきとめていたのを覚えています。(なお、原因は母が嫌いなタバコを父が隠れて吸っていたせいと思われ)

私の仲介癖は親のおかげで育ったんですね。

最後の方は(またかよ…)とおもいながら仲介してましたね。

最初は「ねえ!置いて行かないで!やめて!」って感じでしたが、最後の方は、「ままはこうなんでしょ?ぱぱはこうしてほしいんでしょ?じゃあこうすればいいじゃん」と仲介してた覚えがあります(ワンチャン幻影)

私が幼稚園のころ、弟が生まれました。

父はよく弟を「おもちみたいで美味しそう」と言っては頬っぺたを噛まずに齧ることが多くて、何も知らない無垢な私は「弟(名前)を食べないで!」と言っていた記憶があります。どんな趣味してるんでしょうか。こんな茶番を何回やったかわかりません。

また、何か悪いことをしたらよくくすぐられていました。悪いことと言っても、脅しなんですけどね。「お手伝いしないとくすぐるよ?」とか。

言われれば言われるほどやりたくなくなる心理をわかってほしい。

でまあ逆張りしてはくすぐられてましたね。

なんなら2人係でされたことあります。ちょっと楽しんでましたよね。私はというと、いわゆる「あっはははw」という笑い声がトラウマになりました。今はよく弟がくらってますが、その度に音楽と耳塞ぎで回避してます。

一年生になって、勉強を強制されるようになりました。今まで制限のなかった放課後が、急に縛られて嫌でした。

よく親に叩かれたりしてました。嫌すぎて泣いてた私に嫌気がさしたのでしょう。

私はというと勉強をしたら負けという今も少し残ってる心を植え付けられました。今でもGeogasserとかで遠回しに勉強をしています。勉強という勉強をしているところを親に見られるのが嫌なんです。

3年生になって、求めてないのに塾に通うことになりました。

塾長先生には迷惑をかけました。

タメ口、走り回る、そもそも親に塾という場所の説明をもらっていない、素で私がADHD、ほんとに最悪な子どもだったと思います。よく6年生までいさせてくれましたよ、ほんと。出禁にされてもおかしくなかった。

5年生くらいになって、父と勉強しなければならない機会が増えました。

10秒で計算できないと「こんなのもできないの?」と怒られ、毎日泣いていました。よう考えたら意味わかんないですけど、なぜ12×12を小学五年生が10秒でできると思ったのでしょうか。不思議です。

小学四年生くらいから私は早めの反抗期に入りました。

必要最低限しか口をきかない、部屋ですごし、親と話さない。

5年生の時から病んでいたのもあり、この判断は今思えば正解だと思います。

今まで全ての出会う大人にはもれなく黒歴史を植え付けてきた私、一番黒歴史が多かったのは病んでる時なんですよね。

辛かったですね、ほんと。

おっと、2:00ですね。

書いてたらこんな時間になっちゃいました。

早く寝ないと叱られちゃうのでこの辺で。